宮城県南三陸町より感謝状をいただきました
瓦礫を両脇に押しやってできた道を進んでいったのが、2011年3月18日である、あれから9年余り経った。岡山県DPATチームの原点はここからである。第1陣に参加した五島淳医師の言葉を改めて記す。
街灯にいちいち感謝する人はいない。 「照らしてくれてありがとう」なんて言われない。酔っぱらいには蹴られるし、犬におしっこだってかけられる。それでも街灯は、ただそこに在る。誰がその下を通っても、平等に照らすために在る。目の前で人が転んでも、照らすだけだ。サーチライトじゃないから、先の先まで道を照らすこともできない。進むべき方向を示すこともできない。照らせる範囲をただ静かに照らして、朝が来たら消える。 誰にも感謝されず、自分の領分をわきまえ、いつのまにか消えていく。そんな見守りで十分「できてる」のだ。「見守るだけで何もできない自分」に不安になったら、街灯を思い出してほしい。 そして、どんなに考えても“正解”がわからない時は、頭で考えない。胸(ハート)に聞くこと。 羅針盤は、胸。 決めるのは、肝。 頭は、微調整。 大丈夫。世の中には沢山の「しょうがない」があるけれど、同じくらい沢山のことが「なんとかなる」。気をつけて、いってらっしゃい。